由来

 風早神社

有名な平将門の一族の子孫に、千葉介常胤という当地方の豪族がおり、源頼朝の鎌倉幕府樹立に大きな貢献をしたことは有名です。その常胤の孫に風早四郎胤康という者がおり、その子の康常と共に今日の上本郷の地に館を設けて風早庄を支配しました。風早神社はこの館跡に経津主命を祭神として勧請したものです。ところで、”本郷”の地名は風早庄とか風早郷とかいわれたその中心という意味から起こったもので、上本郷の”上”は江戸時代に同国同郡の今日の船橋市内旧本郷村(下本郷村)と区別するため付けられたものです。また神社周辺の惣台の地名は、風早神社が下総国の四ノ宮であり、風早庄百十九か村の惣(総)代社であったことから起こったものです。風早神社はその後、戦国時代の小金領主で小金城主の高城氏から三百石相当の社地を受領し、徳川家康からは五石の朱印地を寄進されて庇護されています。この地頭で旗本の佐野氏からも寛文(1661年)以来度び重なる社殿修理に協力を得、ことに元禄八年(1695年)九月の祭礼にはおみこしの寄進を受けたという記録があります。

 明治神社

現在の祭神は国常立命ですが、神仏混合禁止によって明治五年に社名を改める前は、妙見社と称して妙見大権現とか妙見大菩薩を祀っていました。妙見様は平将門以来、千葉氏とその一族が守護神、戦神として熱心に信奉し、自分の館とか城の付近に必ず祀ってきたものでした。ということはこの社付近にも城か館があったということで、よくよく調べてみますと、確かに西側一帯に中世城郭の遺構が見受けられます。現在、千葉氏氏族高城氏の本郷存在説が話題となっています。なお史料としては、元禄十五年(1702年)二月の当社造営記録があります。

 上本郷の獅子舞

獅子舞は全国各地に広く分布していますが、当地の様な三匹獅子舞は関東から東北にかけて多く、盛大になったのは江戸時代中期以降といわれます。その起源もいろいろと説がありますが、農村の作物を荒す鹿を捕えて肉を食べ、その頭を神への生けにえに供え、その後に鹿の頭を作って踊らせ、逆に五穀豊穣を祈らせ祝福させ、併せて村からもろもろの悪魔を退散させる行事となったといわれています。市内では上本郷のほかに和名ケ谷の日枝神社、大橋の胡録神社で舞われ、いずれも猿(他では天狗・山伏)が重要な道化役を演じ舞を導きます。とくに当地の獅子舞は明和七年(1770年)九月の奉納の記録がありますから、少なくとも240年の歴史があるということになります。昭和四十四年四月には市の無形文化財として指定されました。

(松下 邦夫)

演目

上本郷の三匹獅子舞は、江戸時代中頃に伝えられたといわれます。当地では、神に供えたしし鹿の頭を模しているとされ、五穀豊穣・厄病退散を願って舞います。三人一組の舞子が合計六組おり、風早神社・明治神社にて順に舞を奉納していきます。それぞれが大獅子・女獅子・中獅子に扮し、太鼓を打ち鳴らしながら横笛にあわせて力強い舞を披露します。獅子の世話を焼いているのは、野猿坊といわれる役です。十曲までは全組共通ですが、最後の曲だけは年功によって異なります。曲中、女獅子をめぐり大獅子と中獅子がケンカをしますが、その結果については、「大獅子が勝ち中獅子はふてくされる」というものや、逆に「中獅子が勝って喜びをあらわす」というものなど、いくつかの説があり、物語としても楽しめます。

  1. 初の道中
    一の鳥居から練り歩きます。
  2. 中の道中
    二の鳥居まで練り歩きます。
  3. 野猿道中
    足を左右に跳ねあげながら前進します。
  4. 女獅子の出端
    女獅子の顔見せです。他の二匹と異なり、足を高くあげず体を左右に振りながら溌剌と舞います。終わりに前に出るのは中獅子です。
  5. 中獅子の出端
    中獅子の顔見せです。首を左右に振る所作が多く、獅子頭の細かな揺れが美しい舞です。
  6. 中獅子の御子
    若くしなやかな中獅子と溌剌とした女獅子が、ともに舞い遊びます。両者は対称的ですが、足の運び方にそれぞれの特徴が出ています。
  7. 中獅子の岡崎
    き続き中獅子と女獅子とが連れ立ち戯れる様をあらわします。最後に大獅子が勇壮に出てきます。
  8. 大獅子の出端
    大獅子の顔見せです。威嚇するような所作で硬派な力強さを誇示します。
  9. さがりは
    三匹が並んで、一斉に跳躍したり腰を落としたりする激しく美しい舞です。
  10. 大獅子の御子
    三匹が腰を落とし顔をつき合わせる所作が出てきます。これは、話し合いの様を表すといわれます。
  11. 岡崎
    一、二年目の舞子が舞います。それぞれの獅子の性格があらわれた所作で、にぎやかに舞います。途中花カゴの後ろに女獅子が下がり、大獅子と中獅子のケンカが始まります。
  12. 橋掛り
    三、四年目の舞子が舞う、岡崎よりも長く難しい曲です。笛、太鼓、所作が徐々に盛り上がり、迫力を増していきます。ここでも花カゴが登場しケンカが見られます。

  13. 五、六年目の舞子が舞います。大獅子と中獅子は腰に剣をはき、氏神様の前で蛇に見立てた竹を切ります。これは厄除けの意味が込められた重要な場面であるとともに、最大の見せ場でもあります。その後花カゴが登場し、ケンカが始まります。

※風早神社・明治神社各々で、1~10と11の岡崎、1~10と12の橋掛り、1~10と13の剣の順で、3回ずつ獅子舞を奉納します。

組織図

獅子舞を伝承し、奉納している組織である獅子講中の組織について紹介します。

獅子講中

大世話人(3人程度): 数えで40歳まで

世話人 : 数えで40歳まで ※アガリから4年目以降に順次昇格

支度番(6人) : 2年間 ※留年の場合あり

補欠(3人) : 1年間 ※留年の場合あり

舞子(計18人)※シンポの人数によって欠員・留年がある場合あり
6年目 剣の上(3人)※アガリ
5年目 剣の下(3人)
 4年目 橋掛りの上(3人)
 3年目 橋掛りの下(3人)
 2年目 岡崎の上(3人)
 1年目 岡崎の下(3人)※シンポ

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習いっぱなし(3人)※いない場合あり